
1975年11月1日 武道館ライブレポート
1975年11月1日、久保田麻琴と夕焼け楽団の実質的には2枚目となるアルバム『ハワイ・チャンプルー』がリリースされたこの日、彼らは日本武道館のステージに立っていた。
こう書いただけで、往年の夕焼けファンの何人かは「あぁ、あのことね」と記憶を蘇らせることだろう。74年に続き1年ぶりの来日となったエリック・クラプトンの日本公演のオープニング・アクトとして、夕焼け楽団は武道館のステージにのぞんだのである。当時、このように外国のアーティストのオープニング・アクトを日本のバンドが務めることが習慣のようになっており、例えばこの1月半ほど前に行われたステイタス・クオーの初来日公演にはめんたんぴんがオープニング・アクトというように、メインのアーティストと共に日本のバンドの演奏もコンサートの楽しみの一つであった。
どう猛なゴジラのジャケットが鮮明なインパクトを感じさせる夕焼け楽団のデビュー・アルバム(厳密には久保田麻琴のソロ名義ではあったが、内容はまさに夕焼けのデビューと呼ぶに相応しいものだった)に、それまでにはなかった新しい日本のロックのオリジナリティを感じていたぼくは、とにかくこのアルバムに夢中になっていた。
日本のロックといえばキャロルにミカ・バンド、クリエイションといった時代に、このアルバムは自分の中ではエポックとなっていたのである。このアルバムを聞きながら夕焼けのライヴを見てみたいと、その思いは日に日に強くなっていった。この頃ライヴ・ハウスに行くというのは高校生のぼくにとって、かなり勇気のいるようなことだったと思う。日比谷の野音などのコンサートとは違った、独特の閉じられた空間というのが、当時のライヴ・ハウスの印象であったのだ。だから、なかなか夕焼けの「生」は体験できなかったのである。
そんな中、クラプトンの2度目の来日が決まり、夕焼け楽団がオープニング・アクトを務めるという知らせはぼくにとって朗報であった。昨年のクラプトンの初来日は東京での初日のステージを見ていたので、正直2度目はいいかなという思いもあったが、夕焼けが出るというのであれば話は別だ。目当ては夕焼け楽団、クラプトンのファ
ンには怒られそうだが、ぼくにとってはクラプトンよりも夕焼け楽団のステージを楽しみに武道館に足を運んだのである。
武道館を埋めた満員の観客がクラプトンの登場を待ちわびる中、照明が落とされ久保田麻琴を筆頭に夕焼け楽団の面々がステージに現れた。「ハワイアン・スティール・ギター・ラグ」でスタートした彼らの演奏のゆったりとした心地よいグルーヴは、あっという間に武道館の観客を包み込み、何ともいえぬまったりとした空気にあふれていた。「いとしのマリー」「小舟の旅」といったデビュー・アルバムに収録された曲が、レコードで聴く以上の「うねり」を発し、初めて接した夕焼けの「生」の音にぼくはまさしく狂喜乱舞したのを、今でもはっきりと記憶している。『ハワイ・チャンプルー』でのハイライトとなった「ハイサイおじさん」でのメンバーのリラックスした演奏ぶりは、このステージでの一番の聞どころとなった。とにかくすべてが素晴らしく、まさにマジックというしか形容しがたいサウンドがそこにはあった。久保田麻琴のひょうひょうとしたヴォーカルはもちろんのこと、タイプの異なる二人のギタリストが次々と紡ぎ出すフレーズに耳は釘付け状態に。もちろん、藤田洋麻(当時)の流麗なスライドのプレイがひときわ光っていたことは特筆しておくべきだろう。
クラプトンのレパートリーでもあったジョニー・オーティスの「ウイリー&ザ・ハンド・ジャイヴ」の軽快な演奏が「バンバン」へと繋がれ、観客の反応も次第に盛り上がってきたところで、夕焼け楽団のステージは終了した。周りの観客のクラプトンへの期待がふくらむ中、ぼくひとりだけ満足感を満喫し、夕焼けのステージの余韻にふけっていた。
前年のステージとは異なり、テレキャスターを抱えステージに立ったクラプトンの演奏は、いきなり「レイラ」からはじまった。前回とはうって変わり、楽しそうにギターを弾きまくるクラプトンももちろん悪くはなかったが、個人的には初来日の時の方が適度な緊張感にあふれたステージだったような気がし、より印象に残っている。
それよりも、やっぱりぼくにとってのこの日の主役は久保田麻琴と夕焼け楽団であったことには、間違いない。
Text by 福原武志